上尾北ロータリークラブ25周年記念事業「ラオスモニタリングツワー報告書 2013」
ラオスの概要について
| 人口 |
650万人(2005年のデータから算出)
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|---|---|
| 面積 | 日本の本州、内陸国 |
| 民族 |
49民族
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| 宗教 | 仏教徒67% |

ラオスの歴史
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1962~1968年 ベトナム戦争支援駆逐のための北爆
200万トン以上、アメリカ郡により爆弾投下(ベトナム国内より多量)
→2億7,000万個中8,000万個が不発弾 - 一人当たり投下量世界一。国民の11%が犠牲者
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不発弾による人的被害
死傷者 約300名(うち50%は子供)/年 (1975年~) - クラスター爆弾犠牲者は世界の50%
- 1973年ラオス国内停戦
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1975年サイゴン陥落、ラオス建国
続く内戦(アメリカ軍を助けをしたモン族が弾圧され、人口の1割が難民)
ラオスの教育事情
学校教育は初等教育(5年)中等教育(4年)高等教育(3年)の段階によって成り立っているが、とりわけ初等教育分野での退学率、留年率の高さ、就学率・進級率の低さは下記の通りです。
| 小学校1年生 | 純就学率 | 85.3% |
|---|---|---|
| 小学校5年生 | 残存率 | 68.0% |
| 小学校1年生 | 留年率 | 28.0% |
| 小学校1~5年生 | 留年率 | 12.2% |
| 小学校 | 退学率 | 7.8% (データ 2010年) |
理由:学校側の要因
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教育施設の不備(遠い、校舎が無い等)
人口密度が低い→一村一校 -
教員 質の低さ、人数の不足
教員養成課程修了者の低さ(10パーセント)例:授業計画の立て方を知らない
少数民族言語
給与の低さ、配布遅延 -
教材不足(教科書以外に子供用図書が無い)
教科書の不足 一人一冊もない
理由:家庭側の要因
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家庭の貧困 教育費(文具や学費)が払えない
人口の約73%が農村部居住 農業従事率:80%
主食とする稲作(水田、陸稲)自給自足 -
家事や農業の手伝いなどの労働力
時間が無い、子供は大切な労働力
→学校が遠く、質が低い教育が必要か?
ラオスの少数民族・女子の教育の現状
理由:学校側の要因
- 学校教育がラオス語を使用していること。
- 教員がラオス語のみ理解していることが多いこと。保護者、子供にとって困難。
- 早期結婚への対応。
理由:家庭側の要因
- 家庭での女子の責務 農作業、家事、子供(幼い弟妹)の世話。
- 教育(特に女子)に対する保護者の価値意識の低さと妨げ。
- 女子の就学年齢と早期結婚
等々の諸問題があるなかで、SVAは下記活動を25年間続けており、当クラブも2000年度より図書箱製作・配布、そして2011年度より絵本出版の活動に参画しています。
訪問記録
第1日 2013年2月16日(土)
大宮駅西口バスにて
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08:30
成田空港 集合
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10:00
成田空港 出発
ベトナム航空 VN311
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14:30
ハノイ 到着
国際線乗り継ぎ
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18:50
ハノイ 出発
ラオス航空 QV323
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19;50
ルアンパバーン 到着
ムアンルアン泊

第2日 2013年2月17日(日)
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08:00
ホテルから観光
- ルアンパバーン
- ルアンパバーン郊外観光
- メコン川クルーズ、パクウー洞窟
- バーンサーンハイ酒造り村
- ルアンパバーン市内観光
- ワットビスンナラート、国立博物館
- ワットマイ、ワットシェントーン
- プーシーの丘から夕陽観賞
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18:00
ムアンルアン泊

第3日 2013年2月18日(月)
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06:00
ルアンパバーン
- 托鉢体験と朝市散策
- ホテルに戻り朝食
- ホテル出発し空港へ
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13:30
ルアンパバーン出発
ラオス航空 QV102
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14:15
ビエンチャン 到着
着後市内へ- SVA事務所訪問
- ビエンチャン公共図書館見学
- ビエンチャン;ラオプラザ泊

第4日 2013年2月19日(火)
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08:00
ビエンチャン
ホテル出発
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10:00
ファイナムニュム着
ファイナム小学校到着
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11:30
SVAによる移動図書館活動
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13:00
昼食後次の学校へ移動
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13:45
ノンケーン村着
ノンケーン小学校到着
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15:30
ノンケーン小学校出発
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17:00
ビエンチャン
ホテル到着
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18:00
ビエンチャン
SVAスタッフと懇親会


ファイナム小学校



ノンケーン小学校
第5日 2013年2月20日(水)
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08:00
ビエンチャン
終日市内観光- タートルアン
- 凱旋門
- ワット・シーケット
- 市場など
- 日本人ボランテア訪問
- 安井清子宅
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18:00
空港へ
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20:05
ビエンチャン出発
ベトナム航空にてハノイへ
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21:05
ハノイ 到着
着後、国際線へ乗継

安井清子宅
第6日 2013年2月21日(木)
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00:30
ハノイ 出発
ベトナム航空VN310にて帰国
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07:00
成田国際空港
通関手続き
バス利用 上尾にて解散

ラオス訪問を終えて
上尾北ロータリークラブ会長 訪問団団長 武内 昇
まず始めに、25周年記念事業として「ラオスの教育現状視察」を御承認頂きました会員の皆様にはご多忙にも係わらずお付き合い頂きましてありがとうございました。
今回、皆様の友情とご厚情に接し改めて上尾北ロータリークラブの素晴らしさを再認識いたしました。私は、名ばかりの団長で何も解らず何も出来ずに6日間過ぎてしまいましたが、皆様に助けられ無事に大役を果たせることが出来ました。心よりお礼申し上げます。
さて、今回の訪問でまず衝撃を受けたのが、SVAのラオス事務所で伊藤所長のラオスの現状についての説明の中で不発弾による死傷者がベトナム戦争終息後50,000人に上り、その半数は子供でクラスター爆弾によるものが殆どで犠牲者は世界の50%を占めるという話でした。
ご存じのようにクラスター爆弾は、容器となる大型の弾体の中に複数の子爆弾を搭載した爆弾で、クラスター爆弾は「意図的に不発になるように仕組まれており、復旧作業の妨害を狙っている」「民間人(子供)の興味を引く玩具のような形状と色にして、拾うように仕向けている」「地雷禁止条約の抜け道として、不発弾を地雷替わりにしている」とする批判もあるそうです。
日本も一時期製造していて個数はわかりませんが現在も所持している事実は、非常にやるせない感じがします。
また、ベトナム戦争でラオスにアメリカ軍が落とした爆弾は2億7000万個でベトナム国内よりも多量でそのうちの8000万個が不発。
一人当たりの投下量は世界一だそうです。まだ、その殆どが処理されておらず今後何十年かかるか解らないそうです。
改めて戦争の悲惨さを痛感すると同時に現状を知らなかった自分の勉強不足を恥じています。この現状を知った以上多くの人に窮状を伝えるのも私たちの役目かも知れません。
滞在3日目に首都ビエンチャンから1時間30分程離れたファイナムニュム小学校、ノーケン小学校に行きましたが、子供たちのあどけない笑顔、私達を見る疑いのない真剣な眼差しには、微塵にも自分が危険ととなりあわせにいる事など知る由もないのだろうと思いました。この子たちが大きくなったころには世界中の紛争がなくなり、この様な悲惨な状況が無くなることを願ってやみません。翌日、安井清子さんのご自宅兼図書館を訪問しました。安井さんは1985年よりタイの難民キャンプにSVAのスタッフとして携わり、その後ラオスの山の民モン族の村に入って絵本を通じて外の人間として初めてモンの人達と交流を持ち民話をテープに記録しているそうです。
モン族は中国を起源とし中国、ラオス、タイ、ベトナムの山岳地帯に暮らす山の民でもともと文字を持たないが代代口承によって沢山の民話を語り伝えてきたそうです。
また、安井さんはその活動を認められ第2回図書館サポートフォーラム賞を受賞しています。
学校訪問の夜、SVAとの懇親会でアジア地区ディレクターの八木沢さんともお話差せていただきましたが、ミャンマーのアウンサンスーチーさんも絵本を欲しがっているとのことでした。
今回、私の様な未熟ものがこの様な素晴らしい人たちと直接お話し出来ただけでもラオスに連れて来ていただいてよかったと感謝しています。
まだまだ、ラオスにもアジアにも絵本を必要としている人達がたくさんいるのが現実のようです。
今回のラオス訪問で私達の事業が本当にこの国の人たちの役に立っていることを確認出来たことは大変意義のあることだったと思っています。
これからも書き損じハガキ回収でSVAを通じて「ラオスに絵本を贈る事業」は、私達のクラブの継続事業として続けていかなければならないと強く感じました。

クラスター爆弾




SVAスタッフと懇親会
再びラオス学校訪問
会長エレクト 岸井 幸男
25周年事業の一環としてラオス訪問が企画され、8年前に訪れた時とどのように変貌したか興味があり参加しました。日本から直行便が無いのでベトナム経由でまる一日かけてルアンパバーンへ、すっかり観光化され夕陽で有名なプーシーの丘はラシュアワーなみの混雑。1つの村に必ず寺院がある仏教国ならではの托鉢体験も観光客の少ない雨期になると実入りが少なく大変らしい。首都ビエンチャンはミニバブルで活気があり、車やバイクが多くて怖い感じで数年後には交通マヒ状態になるのでは?
山間部との格差拡大が問題のようです。
SVA事務所にて現地での活動の様子を聞き、長年にわたってラオスの教育問題を地道に取り組んでいる姿に感銘を受けると共に、我々のクラブが支援していることを誇りに思いました。
事務所では図書室・会議室などがあり結構大きな建物でスタッフも十数名おり運営は大変だなと感じました。
学校訪問では、郊外を出ると未舗装の道で赤い土埃に閉口しながら2時間かけて小学校に到着、庭の木陰に集まり私達を迎えてくれました。
簡単なセレモニーの後、読み聞かせ寸劇「大きなかぶ」では目を輝かせながら笑顔を見せてくれ、最後に手を取り合い輪になって「手に手つないで」で学校を後にしました。
ラオスではまだ恵まれない環境が多く、教育こそが国の繁栄につながる道であり、私たちの小さな支援が少なからず役立っていることに今回の訪問の意義を感じました。

SVA事務所訪問

托鉢体験
旅行を終えて
25周年記念実行委員長 星野 賢
今回の旅行は、旅行会社ピース・イン・ツアーの小山。シャンティ国際ボランティア会(SVA)の皆様方、東栄寺の大森さんには大変お世話になりました。特に私事で申し訳なかったのですが、孫の竹瑠も同行させていただきました。
無事に旅行を終了する事が出来たのも、会員の皆様方の旅行期間中に於ける温かいご支援の賜物だと心よりお礼申し上げたいと思います。
また、シャンティボランティア会の鈴木さんには竹瑠の色々なご指導を頂き、改めて感謝申し上げたいと思います。
今回の目的は、支援を差し上げている絵本等の出版事業が行われている小学校の訪問です。
現地を訪問して、子供たちと触れ合いシャンティボランティア会の活動が非常に良く理解できました。
孫、竹瑠の同伴で竹瑠の年齢を意識しました。自分自身の10歳の日本の時代に思いを寄せてみました。
昭和28年、1953年は戦後の混乱期から昭和25年朝鮮戦争が勃発し、そして朝鮮特需がおこり、日本が大きく変化する時代、昭和28年でした。
その当時の私の記憶では、アメリカ文化センターがあり、クリスマスパーティーや映画会に参加して楽しいひと時を過ごした事、学校給食では脱脂粉乳の飲物が飲みつらかった事、アメリカ軍の実習を見に行き空になった薬莢を拾い、屑鉄屋に持って行き小遣いにした事………貧乏でみな一生懸命で生きていた思い出があり、日本も何度かの高度成長時代を経過して、どんどん変化して今日を迎えてみて教育現場を見ると子供たちにあって必ずしも豊かで明るい未来だけではない状況にあります。
シャンテボランティア会の皆様がラオスで行って子供たちの教育支援と日本の子供たちに対する支援は何か共通するものなのかと思いました。



ラオスの小学校訪問記 (2013/2/19)
大森忠篤
我々10人と添乗の小山氏、ガイドさんは朝8時にホテルから中型のバスで最初のフファイナム二ュム小学校に向かった。
ラオス首都ビエンチャン市内から幹線道路を走って一時間しない内に周りが手入れの無い杭だけの囲いが続く荒れ地が点在し始めた。
土地は赤く煉瓦色、雨が降らないので乾燥してほこりを被っているので雑木は生きているのか枯れているのか分からない光景であった。
幹線を外れると道は舗装がされていないので、車がすれ違っては土埃りでデコボコだらけの路面は見えなくなり、穴を避けながらスピードを緩めての走行となる。
一時間を過ぎたころからいくらかの人家、集落が点在し始めた。その辺りから道の両側が黒く焼けているのが見られ、さらに進むと畑に煙があがっており、立木の切り株に火が付きくすぶっていたのだ。
まさに焼畑であった。また茶色の毛並みの痩せた肉牛?が数頭放されていた。
我々が訪問する小学校はそこからさらに先にあった。ファイナム二ュム小学校に到着した時は、すでにSVAのスタッフのみなさんは絵本と教材をセットして児童達と待っていて下さった。
校門からはバスが入れないので道にバスを駐車して草の校庭から児童の待つ大きい木の根方(シートが敷き詰めてある)ところに向かった。
着いたところで児童達はみんな合掌していっせいに「サバイデイー」とあいさつを送ってくてれた。
自由読書では絵本は良く利用されているようであったし、SVAのスタッフの上手な話術により児童を充分に童話の世界に引き込んでいたと感心させられた。
しかしSVAの事務所所長も指摘しているように心配なのは教員の質・数と研修であると思われた。当然のことながらそれには待遇の問題が横たわっているわけであるが・・・。
またこの学校の教室は先生の数が校長を含め3人で複式学級(1年・2年)混合のため3教室しか利用されていなかった。
この現状からすれば実情を見ずに「校舎建設の支援」と共に、ODAなどによる開発援助によりまず教員の質の向上の研修支援の必要性を感じた。
「大きなカブ」のわれわれの寸劇には星野会員のおじいさん、日吉会員のおばあさん、星野会員のお孫さん、いぬ役の児童数名、ネコの児童数名、ネズミ役の児童数名一緒になって「カブ」を抜くのに加わってくれました。大きな声で{ヌン、ソーン、サーン}と声援を送ってくれた。
昼食のためつぎにそこから15分ほど戻り、さらに20分程の先のレストランに入り食後再び元来た道をもどって、40分ほどかけてノ-ケ-ン小学校に到着した。
貧弱な校舎とまわりはあまり住居はなく、学校のわきに雑貨か何かの店が1軒あり、おばさんや赤子を連れた人が見えた。
この学校は校長と先生とで2人、生徒が34人とのことでしたが出席した児童は28名でした。校舎は村人がお金を出し合って建てたと聞きましたが、ブロック積みで、屋根は波形トタン張り、窓は枠なしで空いた状態、電気は来ていませんでした
聞いたところによると、この村では小学校を造るだけで精一杯で、毎月かかる電気代まで出せる余裕は無いのだとのことでした。
ですから教室内は暗く、2教室で1年から3年生までの複式の学校でした。4年生と5年生は隣村の学校まで通っているとのことでした。
私たちは先ほどのお店からコードで電気を引いてこの学校でも子ども達と一緒に、「大きなカブ」の寸劇歌にあわせて「大きな栗の木の下で」「手に手つないで」のロータリーソングを子ども達とおこないました。
その後榎本会員による「歯のおはなし」をしましたが予想よりも歯の健康状態が悪い「虫歯が多い」との話でした。
前回の現状視察(2005)
- 図書箱の配布のみで、活用の実態がつかめなかった。職員室に置かれていて、きれいなままであった。
- ルアンパバーンの郡の教育局の役人も一緒して物々しかったが教育実態がつかめなかった。
- 図書箱配布後の教員への指導が今後の課題と認識していた
今回の視察(2013)
- 図書室の様子は分からないが読み聞かせ、自由読書の指導をSVAが直接職員を派遣して行うことにより、教員の質を補っている。
- 児童たちが無邪気に生き生きと参加していた。
- 絵本表面のすれ方を見て確かに活用されていた。
-
都市部と市外(農村部少数民族?)との格差はますます開きそうでありSVAの活動は一層重要であり、期待されている。
(都市部に中華系の学校ができて、小学校で中国語を教え始めていることから、ラオスの統一の言語環境が整う前からゆがみ始まっているようである。)
今後
- 事務所では、今後特に教員を集めての研修に重点をおく計画とのこと
-
少数民族の子どもたちにとって標準語(ラオ語)へとつなぐ絵本の出版は今後も必要であろう。
この支援事業を継続してきたことによる何が見えたか
最後に、今回クラブ25周年にあたり武内会長の絵本出版事業の現状視察の計画にクラブとして賛同をいただき、10名のご参加をいただきましたことは、支援している立場としても非常に心強く、その上参加者が業務上各々重要な立場にあり、その時間をさいての参加には頭が下がります。クラブと会員の友情にあらためて感謝を申し上げます。
さらにSVAのラオス事務所の所長、東京のラオス担当の木村様も上尾北クラブの継続したご支援に感謝しておりました。









ラオスの小学校訪問 (上田西RC 近藤博道様のお便りを掲載)
上田西RC 近藤博道様
昨年の秋にシャンティ国際ボランティア会ラオス事務所20周年の式典がありましたが所用で都合がつかず訪問する機会を探っていました。
上尾北RCでラオスの教育現況視察に行く話しを聞き、ご一緒させて貰いたいと大森会員にお願いしました。
今回、上尾北RC創立25周年ラオス小学校訪問に参加出来た事を感謝致します。武内会長始めロータリアンの懐の深さと友情を知る事が出来ました。
上尾北RCでは2000年より10年余りに亘りラオスの教育支援を継続して行い、現地訪問も2回目との事、会員の熱い思いに敬服致します。
上田西RCは約10年前よりラオスの教育支援を行って来ましたがなかなか現地訪問という機運になりません。私は3回目のラオス訪問ですが10年前と比較しますとルアンパバーンには日欧米からの観光客が10倍以上ではないかと思う程多くなりました。
ヴィエンチャンも近代的なビルも所々建設され、高級な自家用車も散見され、コンビニも出来、都市部の発展は目を見張るものがあります。
時間のルーズさや物資のなさも昔話になった様でした。しかしヴィエンチャン郊外のファイナムニュム小学校、ノンケーン小学校まで来ると時間の止まった世界がありました。
10年前と同じ様に2~3人で1冊の絵本を読み、食い入る様に目を輝かせていました。SVAラオス事務所のスタッフ、ミンチェンさんが絵本の読み聞かせをすると皆お話に引き込まれて大喜びです。
上尾北RCの皆さんによる寸劇「大きなかぶ」は地元の子供達も挙って参加して大好評でした。しかし教室を覗いて見ると机や椅子は揃っていますが照明設備はなくノートや教材も余り使っている様子はありませんでした。
今回の訪問でラオスでは都市部と農村部の格差が一層拡大している様に見受けられました。都市部は教育も熱心でありますが、農村部は焼き畑農業で自給自足の社会を形成しており、地域や両親の教育に対する要求が余り感じられません。
地域の経済力が上がらないと教育環境の整わない中に、素直で明るい子供達が沢山います。
この子供達の笑顔を忘れずに私達の出来る支援をしなければと思いました。


